日本人はなぜ見栄剥きするのか?
今までに数多くの悩み相談を受けてきたが、「見栄剥き」に関して相談や意見を求められることがよくある。「見栄剥き」とは、仮性包茎の人が包皮を意図的に剥いて亀頭を露出させ、露茎(=いわゆる剥けチン)であるかのように見せかける行為だ。温泉や銭湯など他人の前で裸になるような時に、この見栄剥きをすることが多い。
実はこの見栄剥きは、日本人男性ならではの行為であるようだ。日本では昔から、露茎を正常とし、それ以外の包皮の被ったペニスは「包茎」として異常扱いされてきた。さらにその包茎も包皮の状態によって、「仮性包茎」「真性包茎」「カントン包茎」と細かく分類までされている。この包茎状態の分類も、実は日本特有のものだというのはご存じだろうか。
これは白人男性がペニスの状態をどう認識しているかを図式化したものだ。包皮を剥いて亀頭を露出できるかどうかの判断で、実にシンプルでこれこそが本来の正しい性教育だと言えよう。どうしても剥けない場合を包茎として治療対象とし、それ以外は剥けていても被っていても正常としている。
一方で日本人男性の性器認識は、上のようにかなり複雑となっている。日本人はペニスが常時剥けていることを理想形としているため、このような複雑な図式になってしまうようだ。手術などを受けずに、ペニスの成長の過程で包皮が自然と剥けて亀頭が露出状態になる人なんて、実際にいるのだろうか。おそらく日本人の露茎の多くは、包皮をカリ首に引っかけた状態を常にキープできている状態なのではないだろうか。
こういった日本人男性特有の性器認識があるから、見栄剥きという行為が広く定着してしまったのだろう。私は仮性包茎であることを気にしていた二十歳前後の頃は、当たり前のように見栄剥きをしていた。そしてなんとか露茎になろうと剥き癖を付けようとしていた。だが私の場合、亀頭がそれほど大きくないことと包皮輪が広いため、剥いた包皮がカリ首にうまく引っかからず、スルッと元に戻ってしまうことが多かった。剥いてもどうせ戻ってしまうなら、最初から剥かずに自然体のままでいいのではないかと思い始めた頃、温泉や銭湯に行ったときに高校生くらいの若い男の子たちが、当たり前のように包皮を被せたままで堂々としているのを見て、なんだか見栄剥きしている自分が情けなくなった。これがきっかけとなり、私は見栄剥きをするのをやめた。
勘違いしないでほしいのだが、私は見栄剥きすることを否定しているわけではない。見栄剥きは一種の自己表現であり、仮性包茎にしかできない特技である。ただし、剥いた包皮が不意に戻ってしまうことがあるので、そこは十分注意してほしい。また、見栄剥きしているかどうかは、亀頭の色やカリ首に集まった包皮のダブつき具合などで、同じ仮性包茎の男性ならば一目見れば分かってしまうであろう。みなさんは見栄剥きに関してどうお考えだろうか。自分の経験なども踏まえて、コメントにてご意見をお聞かせ願いたい。
(漫画「をのころん」より)
実はこの見栄剥きは、日本人男性ならではの行為であるようだ。日本では昔から、露茎を正常とし、それ以外の包皮の被ったペニスは「包茎」として異常扱いされてきた。さらにその包茎も包皮の状態によって、「仮性包茎」「真性包茎」「カントン包茎」と細かく分類までされている。この包茎状態の分類も、実は日本特有のものだというのはご存じだろうか。
これは白人男性がペニスの状態をどう認識しているかを図式化したものだ。包皮を剥いて亀頭を露出できるかどうかの判断で、実にシンプルでこれこそが本来の正しい性教育だと言えよう。どうしても剥けない場合を包茎として治療対象とし、それ以外は剥けていても被っていても正常としている。
一方で日本人男性の性器認識は、上のようにかなり複雑となっている。日本人はペニスが常時剥けていることを理想形としているため、このような複雑な図式になってしまうようだ。手術などを受けずに、ペニスの成長の過程で包皮が自然と剥けて亀頭が露出状態になる人なんて、実際にいるのだろうか。おそらく日本人の露茎の多くは、包皮をカリ首に引っかけた状態を常にキープできている状態なのではないだろうか。
こういった日本人男性特有の性器認識があるから、見栄剥きという行為が広く定着してしまったのだろう。私は仮性包茎であることを気にしていた二十歳前後の頃は、当たり前のように見栄剥きをしていた。そしてなんとか露茎になろうと剥き癖を付けようとしていた。だが私の場合、亀頭がそれほど大きくないことと包皮輪が広いため、剥いた包皮がカリ首にうまく引っかからず、スルッと元に戻ってしまうことが多かった。剥いてもどうせ戻ってしまうなら、最初から剥かずに自然体のままでいいのではないかと思い始めた頃、温泉や銭湯に行ったときに高校生くらいの若い男の子たちが、当たり前のように包皮を被せたままで堂々としているのを見て、なんだか見栄剥きしている自分が情けなくなった。これがきっかけとなり、私は見栄剥きをするのをやめた。
勘違いしないでほしいのだが、私は見栄剥きすることを否定しているわけではない。見栄剥きは一種の自己表現であり、仮性包茎にしかできない特技である。ただし、剥いた包皮が不意に戻ってしまうことがあるので、そこは十分注意してほしい。また、見栄剥きしているかどうかは、亀頭の色やカリ首に集まった包皮のダブつき具合などで、同じ仮性包茎の男性ならば一目見れば分かってしまうであろう。みなさんは見栄剥きに関してどうお考えだろうか。自分の経験なども踏まえて、コメントにてご意見をお聞かせ願いたい。